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すごくおもしろいです。

嘘の体験談Ⅲ

トトロ

終電で苦楽園口駅に着き改札をくぐる。今の会社に就職して六年と少しになるが、このところ残業が多く疲弊する日々だ。入社一年目の頃、田崎と「ウチの会社は隠れブラック企業だ」などと話していたが、その認識はやはり間違っていなかったのかもしれない。結局田崎は三年も経たずに辞めてしまい、その後は一度も連絡を取っていない。私も何度か辞めようと思ったりもしたのだが、奥寺さんや今井さんに悪い気がして辞めきれないでいた。

駅を出たところでパラパラと小雨が降っていることに気がついた。いつ降り始めたのかは分からないが、電車に乗る前は降っていなかったし、恐らくにわか雨だろう。傘は持っていないので濡れながら歩いた。

苦楽園口橋の上で立ち止まり、桜を眺める。既に辺りは真っ暗だったので、あまりいい景色とは言えなかったが、子供の頃から親しんだ風景を見ているとやはり少しは心が安らぐものだ。それと同時に、夙川公園で遊んでいた幼少期の記憶が思い出されて、なんだか懐かしい気持ちになった。

夙川公園の桜は七分咲きといったところだろうか。去年は3月の終わり頃に既に満開になっていて、佑香たちと花見をしていたはずなので、今年は平年よりかなり遅いのだろう。だんだんと春めいてきてはいるものの、確かに今年はまだ肌寒さを感じる日が多い。今日までには満開の桜が見られるだろうと踏んでいたが、期待通りとはいかなかった。

桜を見ながら幼少期を懐古するのは悪くない時間だったが、あまり感傷に浸りすぎるのも良くない。

結局、今朝感じた謎の高揚感の理由は分からずじまいだった。

 

きわめるための話

何でもできてしまって何もできない

私は“勉強”が好きではない。理由は単純ではないけれど、ひとつとして、好きではないことを勉強することが好きではないからだ。好きではないことは学びたくないし、学びたくないことを学ぶことはしたくない。したくないことをするのは好きではないし、好きではないことはしたくないだろう。でも、好きではないことをしたくないのは皆そうだろうと思うから、理由になっているような、なっていないような。まあ理由なんてもともとあってないようなものだろう。ともかく、「私、勉強くんのこと好きではないし、シたくもないの。」そして、したくないことをしなくてはならないとしても、“やる気”は出ないだろう。「やる気が出ない。そんな時、君ならどうする? やる気が出ない。そんな時、僕なら諦める。」(mochilon 『やる気が出ない』より) したくないことはしたくない。だから私は、したくない勉強はしなかったし、したくないことを頑張ってする努力も、したいことを頑張ってしない努力も、殆どした経験がない、と思っている。けれども実際、客観的に見れば、私は、したくない勉強をしていたし、できていた。勉強だけではなく、したくない部活の練習も、したくない人付き合いも、したいことのしたくない部分も、していないながらにしていたし、できていた。何もしていないと思いながら、何でもできていた。と言っても、もちろん「何でもはできないわよ。できることだけ。」 でも、していたことはできていたし、できないことをすることをしそうになく、しそうにないことをしない性格も相まって、実質的にできないことが何もなかった。けれども、真の意味で何でもできる人間なんて存在しないから、できないことが何もないことは何もできないことと殆ど同じだと思う。何でもできるより、何かができる方がよっぽど健康的な気がする。

 

これまでの話は、捉え方の切り替えと言葉遊びみたいなもので、ネガティヴな人間が生み出した宗教だ。今の私だけのもので、過度に縋るべきではない。が、それでもすぐに取り出せるようにはしておきたい。

曲作り

曲作りの方法

私はリンスを毎日使う。シャンプーしたらリンス。いつからそうしているかなんてことは忘れたが、ずっとそうしている。まあまあ、これは別に普通のことだ。実際このこと自体はどうだっていい。問題は私にはこれまでリンスの効果を実感した経験が1度もないということだ。髪が潤う、サラサラになる等ということを実感した試しがない。「リンスのチョイス悪いんちゃう?」いや、まあそうなのかもしれない。スーパーで1番安いやつだし、ただ自分に合ってないだけということもある。でも問題はそこじゃない。効果を実感した経験がないにもかかわらず、私はリンスを毎日使っているのだ。これは一体どうしたことだろう。

では、今、効果を実感したことがないこのリンス、意味ないっぽいし使うのやめよ、とはならない。何故か。

やめることで今以上に髪が傷んだりしたらショック…みたいなことか。それとも今までただ何となく普通使うもんだと思って使っていただけだから?そういう可能性もあるだろう。うーん。私はそんなに自分の行動に無頓着な人間だったのだろうか。落ち込む。

「なんやねんお前、そんなにリンスの効果を実感したいんやったらいっぺん試しに高くて良いリンスとか買うてみいや」いやいや待ってくれそういうことじゃない。正直言って私は自分の髪の健康状態になんぞさらさら興味が無いのである。政治と同じくらい興味が無い。実際リンスとコンディショナーとトリートメントの違いをこの文章を書き始めるまで知らなかった。

自分が今している行動は何のためにどういう理由があって行われているのか、知りたくなるだけなんです。だから私は日々自問自答を繰り返す。無駄な日曜日を過ごし自己分析だけ得意になったというのはもはや私のキャッチフレーズとなりつつある。

いや実を言うとそれも大した悩みではないのよ。だって冷静に考えてみなさい。「そんなんどうでもええわ…」でもさ、シャワーしてるときにさ、ふとそこに哲学を感じてしまったりするじゃん?

普段当たり前のようにしていることにも深い意味があったり逆に思っている以上に何の意味もなかったり、それにふと気づく瞬間が日常のいたるところにあるんだよね。まあ難しい言い方をすると“いんすぴれいちょん”ってわけ。わかる?

嘘の体験談

見た夢が思い出せない。

最近よく夢を見るのだけれど、その内容を憶えていないことの方が多く、目が覚めたときに「あ、夢見てた」と思うのみで終わってしまうからやるせない。と言っても、なんとなくネガティヴな夢だったとか、ファンタジックな夢だったとか、不鮮明で曖昧なビジョンは残っているから、それをきっかけに後から運良く思い出せることもある。

今日、ある夢を見て、起きた時には忘れていた。起きる直前「あ、またこの夢だ」と思っていた記憶はあるのだけれど、起きたら既にどうしても思い出せなくなっていた。「大変儚いよな」と思いつつもそう珍しい体験というわけでもなく長らく気に留めるようなことでもなかった。だから、起き上がって顔を洗っている頃にはそんなこと自体どうでも良くなっていた。

その後、いつものようにYouTubeマリオカートの実況動画を見て、SNSを漁りくだらない投稿に独り感心しながら、怠惰な1日を謳歌していた。

13時過ぎ、腹が減って、そういえば今朝から何も食べていないことを思い出した。何か作ろうと台所に向かおうとした瞬間、ふとその状況にデジャヴを感じた。なんだろうとモヤモヤした気分になったが、数分後それが今朝見た夢の中での情景と重なることに気がついた。しかし、それ以上のことは何も思い出せない。夢の中で自分は何をしていたのだろうと余計にモヤモヤしてくるので、一度頭を整理しようと、このことをブ

猫に夢中になってランニングの概念が崩壊した話

昨日の朝、5時くらいにランニングに出かけた。

 最近は昼夜が逆転裁判しているので、本来なら朝5時のランニングというのは早起きをしてやるのだろうが、私の場合夜更かしをしてしている。実際コンデションとしては最悪ではあるが、私はこの頃変態性が増してきているので、疲れた体に鞭打つ行為が快感になってきているのだと思う。友達にそんな話をしたら、自分も一緒に走りたいと言った。彼もまた変態的性格を持ち合わせているので納得だった。

 

そんなわけで朝5時に集合して走ることにした。家から2キロと少しのところに城があるのでそこまで行って帰ってこようということになった。そうやって走り出したはいいのだが、やはり体調はよくないので少し走ると脇腹は痛くなるし、コンクリートの道を走るのは老体には応えるものがあった。城まで走った時点で体力的にも肉体的にも疲労はピークに達しており、まさに満身創痍のロックンローラーといった感じだった。

 

城のある敷地内はこの時間でもはいれるところがあったので、休憩がてら少しはいって歩いてみることにした。城には何度か来たことがあったし、敷地内にこれといって珍しいものもなかったが、城はでかいし敷地は広いしで、「さすがだな」と思った。でも無駄にだだっ広くて何もない場所があったので、土地はもっと有効利用してポケモンセンターでも建ててくれないかな、とも思った。

 

そんなことを考えつつ歩いていると、どこからともなく「ニャ~」という鳴き声が聞こえてきた。私は「猫ひろしでもいるのかな?」と思ったり思わなかったりしたが、猫ひろしは名前に「猫」とついているけれど本当は人間なので「違うか」と思った。そうすると急に草陰から猫が飛び出してきた。種類などは詳しくないのでわからなかったが白っぽい感じの色の猫だった。私は知的な大学生であるので、猫を見た瞬間、「猫はネコ科の動物だな」、「猫かわいい」、「猫ひろしって今どうしてるんだろう?」、「猫かわいい」などと考えた。

 

その猫は特に私たちを警戒しているという風にも見えなかったのだが、しきりに鳴き声を上げ続けているので、もしかしたらほかにも猫がいるかもしれないと思っていると、案の定別の猫の鳴き声が聞こえてきた。周りを探してみると、先ほどの猫より一回り小さい子猫らしき猫と、こちらは普通の大きさの黒猫が見つかった。子猫は白っぽかったり黒っぽかったりする感じの色をしていて、3匹は何となく家族っぽかったので、私たちは最初の白い猫が母親、黒猫が父親、そしてその子供猫のファミリーという設定でしばらく観察していた。

 

観察をしているとなんだか猫たちの様子が少しおかしいことに気が付いた。母親猫だけが離れたところにいて、何度も鳴きながら子猫を呼んでいるように見えた。子猫も鳴き声を上げて反応はしているのだが、近づいたり離れたりを繰り返していて一向に距離が縮まらない。まるで離婚した夫婦のどちらについていくか迷っている子供のように父親と母親の間を右往左往している。このままでは夫婦がさらに揉めて非常に複雑な問題に発展しかねないので、私はネゴシエーターとして猫ひろしを召喚しようとも思ったが、猫たちには猫たちの事情があるので、通りすがりの自分たちが首を突っ込むべきではないと察して手を引いた。

 

そうこうしているうちにあたりはすっかり明るくなってきていた。時計を見るとちょうど日の出の時間をすぎたころで、どうやら30分近くも猫と戯れていたらしい。さすがにそろそろ腹も減ってきたし帰ることにした。猫との戯れによって我々の変態性は基準値に戻っていたのだろうか、すっかり走る気力は失われ、代わりに己の身体に対する労りの気持ちで満ち溢れていた。

 

目の輝きを取り戻した私たちは曙光に照らせれながら生まれ変わったような気分で、歩いて家まで帰った。家についたころにはもう6時を回っていて、息をつきながら今日は13時からバイトがあることを思い出し、今度はため息をつく。こうして先ほど取り戻されたばかりであるはずの私の目の輝きは、みるみるうちに失われていくのであった。このぶんだとまた近いうちに走りに行くことになりそうなので、次回は一家団欒を取り戻した家族に会えることを願いたい。